岡山にいる人も世界で輝ける!夢・出会い・ワクワク・文化を持って海外ビジネスに取り組む企業から、グローバルな人材になるために大切なことを教わりました。
2022年11月9日(水)に行われた「よいことカイギ」。
今回も瀬戸内海放送 岡山本社(岡山県岡山市北区大供)で開催され、 「地域からグローバルに」をテーマに岡山県内の4社が集まって高校生と大学生の前で話をしました。
よいことカイギとは、 岡山・香川で「新しいことに取り組む企業」「将来を担うリーダーや若者」が集まり、地域をよりよくすることや、面白くすることを一緒に考える活動です。2019年8月~2022年3月まで行われた「おかやま100人カイギ」がきっかけとなっています。
【岡山で創業75年のモノづくりメーカーの「夢ある挑戦」】オカネツ工業 松下健太さん
「モノづくりメーカーとして、そして私自身の経験を踏まえた「夢ある挑戦」についてお話します。よろしくお願いいたします。」
松下さんはアパレルショップで約6年間働いた後、税理士事務所へ転職。将来の夢を変更しながら、さらなるキャリアアップを目指すために2014年から岡山市東区にあるオカネツ工業で働いています。
オカネツ工業は設計から出荷まで行う一貫生産体制を強みに、農業機械に使われる部品などを製造する会社です。
最近では農業機械にとらわれない自社製品開発もしており、農業機械で培った技術を応用したアイスクリームブレンダーや熱処理技術を活用したペグなどを作っています。
また、オカネツ工業は中国やベトナムなどにも拠点があり、グローバル展開を進めていますが、海外ではまだ水牛や手作業が中心となっている農家も多いことから、現地ニーズに合わせた商品開発に取り組んでいるそうです。
苦労を重ねながらも、さまざまな業界で知識や経験を身に付けてきた松下さんが大切にしていることは、「自分で決めた夢や目標に向かって一生懸命努力し、挑戦し続けること」です。
最後に松下さんは、会社のスローガンである「夢ある挑戦」を仕事でもプライベートでも続けていきたいとして、自社開発製品の売り上げ30億円突破や中小診断士とFP1級の取得に挑戦していきたいと語りました。 「ここに来ている皆さまは、まだまだ若い力があると思います。これからどんな夢や目標でも持てると思います。ぜひチャレンジし続けてください。」
【人をつなぎ、国をつなぎ、未来を創る】ELN 木下寛子さん
「皆さんの今後の夢をかなえるためのヒントをお伝えできればと思っています。」
木下さんは、医療機器メーカーの国際営業部や台湾の物流企業に就職後、家族の転勤をきっかけに岡山へ移住しました。そして倉敷市で会社を立ち上げ、貿易コンサルタントとして活動しています。
現在18か国で仕事をしていて、この日は「先々週はモナコとフランスとロンドンへ出張、1週間後はタイとシンガポールに行きます」というハードスケジュールの中、参加してくださいました。
木下さんは参加した高校生・大学生へ伝えたいこととして、まずグローバルで仕事をしたいのであれば「英語が話せるだけでは役には立たない」「英語にプラスして他の言語や専門知識を身に付けることがすごく大事」という教訓を伝えました。
次に会社を立ち上げた経緯について、海外の展示会で商品をうまくアピールできない日本企業を見たことと、移住先の岡山で貿易を勉強する場がないことがきっかけだったと話し、「人をつなぎ、国をつなぎ、人々の笑顔と幸せをたくさんの日本の素晴らしい商品でつくっていきたい」という思いを語りました。
起業して10年、これまで貿易の知識を持つ生徒をたくさん育て、一緒に倉敷のジーンズをタイに売り込みに行くなど513の特産品の海外進出を手助けしてきたということです。
木下さんは、社会人になってからの出会いが起業する決意を育ててくれたこと、岡山の仲間が支え勇気づけてくれたこと、仕事先などでのたくさんの出会いによって助けられてきたことから、人生において「出会い」に無駄なものは一つもなかったと振り返ります。 そして国際ビジネスでの気付きとして、応援してくれる人や仲間を大切にし、その人にとって魅力的な自分になる努力も必要なことを挙げ、「失敗を恐れずにたくさんの量をこなして経験値と質を上げていってほしい」とメッセージを送りました。
【フジワラテクノアートが世界で戦える理由】フジワラテクノアート 太田龍弥さん
「実は私、英語が喋れません。海外に行ったことは旅行ぐらいで、自分が仕事で海外に行くなんて全く思っていませんでした。」
3番目に登場した太田龍弥さんは、2番目の木下寛子さんとは違う視点からグローバルの仕事について話しました。
岡山県瀬戸市で生まれ育った太田さんは、大学院で発酵について学んだ後、岡山市にあるフジワラテクノアートに入社しました。
フジワラテクノアートは日本酒や醤油、味噌といった醸造食品を作る機械を取り扱っているメーカーで、国内だけでなく中国やアメリカなど27カ国にも輸出しています。
太田さんは2016年から営業として、取引先の工場が抱える課題を聞いて解決する仕事をしていて、兵庫県と京都府内の地区を担当しています。
しかし、このエリアは日本酒の生産が盛んでアメリカのカリフォルニア州などに拠点を持っている取引先も多く、太田さんは国外の関連工場まで足を運ぶ必要がありました。
「海外出張に不安もありましたが、単純にアメリカで仕事ができるってかっこいいな!という思いもありワクワクしました。」
飛行機やホテルを予約し、慣れない土地で車を運転してアメリカの工場へ向かいます。日本企業の工場のため英語ができないことによる問題はあまりなかったと言います。
近年、海外の日本酒人気は高まっていて、実際にアメリカでも「日本酒の生産量が足りていない」といった声が上がっていると太田さんは話します。また、食料問題に微生物の力は役立つとして、今後はSDGsの取り組みとしても醸造技術を活用していきたいということです。
「和食文化が世界に広まっていく中で、それを作るための設備が必要になってきます。そこで、醸造というニッチな分野で技術力を持っている我々の会社は世界でも戦えると思っています。」 最後に太田さんは、進学や就職を控えている高校生・大学生に向けて、グローバルで仕事をすることに場所は関係ないということ、機会があればぜひ海外に足を運び、現地の情報に直接触れてほしいと伝えました。
【和気の街から世界の空へ】徳永こいのぼり 徳永夕子さん
「夢は節句文化の総合演出家として世界の空をこいのぼりで彩ることです」
徳永夕子さんが4代目を務める岡山県和気町の徳永こいのぼりは、年間150万匹を製造販売している業界トップクラスのこいのぼりメーカーで、創業75年を迎えました。
創業者である徳永さんの祖父は日本画家として、和紙に筆でこいのぼりを描いていました。しかし現在は「シルクスクリーン」と呼ばれる技法で種類や生産数を増やしています。
海外輸出もしていて、ドイツやフランス、中国の日系人を中心にこいのぼりを届けています。
機能性の向上や新しいデザインの商品といった、「今までにない物」を世の中に出してきたことが業界トップの理由だと話す徳永さんが大切にしていることは、「こいのぼりの文化を守って継承していく」ということです。
販売するだけではなく、節句の文化や温かさを伝える活動をしていて、少なくとも30年前から海外で日本のこいのぼりの魅力発信に取り組んでいます。
最近では「世界難民の日こいのぼりプロジェクト」として、難民の子どもたちへの支援を呼び掛ける活動をしています。世界中の難民の半数が子どもであるということから、子どもの幸せを願うためのこいのぼりを世界の子どもたちを支援するためのアイキャッチにしようと動いています。
「グローバル化された今、各国のオリジナル文化の価値は昔より上がっていると考えています。」
この日、徳永さんは室内用こいのぼりを持ってきていて、国内外で手軽に楽しめるような商品も作っていると紹介しました。
そして、いろいろな人が身近にこいのぼりを感じ、江戸時代から続くこいのぼり文化の由来や楽しみ方を未来につなげられるようにしたいと話しました。
最後に、参加した高校生から「今、日本と海外で売っているこいのぼりの割合ってどれぐらいですか? 」という質問を受けた徳永さんは、「半々と言えるとうれしいですが、99%はまだ国内で1%ぐらいが海外出ているかなという感じです。」と答え、「海外からもっと声が増えるように頑張りたいと思います。」と意気込みを語りました。